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南出校長先生より

  にっぽんのこどもたちへ 

【10月号】おさなごこち(幼心地) その5:おばあさんの話 


 こんかいは、こいずみやくも(ラフカディオ・ハーン)の

『おばあさんのはなし』(Obahsann-no-Hanashi)

というさくひん(「めいじにっぽんのおもかげ」こうだんしゃがくじゅつぶんこ)

について のべてみます。


そのかきだしには、こうあります。
「いまではもう、いかなる みんぞくも わたしが、

かたるような、じんぶつを うみだすことは できないだろう。

そのひとは わたしども、せいようせかいの にんげんには、

そうぞうも できないほど げんかくなしつけ――によって はぐくまれた
その、りそうとは、たにんの ためだけにはたらき、

たにんの ためだけを おもい、たにんの ためだけにいきるひと、

かぎりない、あいじょうと かぎりなく むし(無私)のこころをもち、

ぎせいを いとわず、へんれいを もとめない、そんなひとだ。

しかし、なんせだいに わたり、おさないころから、

あらゆるめんで きびしく、おしえこむ ことにより、

ついに、そのありうべからざる、りそうが げんじつの ものとなった。

ありか はちのように エゴイズムを しらず、

わがままとは いっさい むえんで、

ひとを わるく おもうことの できないひと、

うまれ そだった しゃかいを はなれては、いきて ゆけないほど 

ぜんりょうなひと、むろん、これほど できたひとは、

こらいけうで、じょせい いっぱんの ふうと なることは、

けして なかったが、すくなくと むかしの にほんでは、

それが おてほんに できるくらい、みじかな そんざいであった。

そして、じょせいというものが きょういくにより 

どれほど かわりえるかを みごとに しょうしていた。

こうした じょせいは こわだかに ほめられることもなく、

しずかに あいされ、みなわれた。

じょせいの かがみとはいっても、ひとさまざまである。

わたしは そのなかで、もっとも そぼくなひと、

わたしの いちばん よくしる、ひとのことを かたりたい」

 

 みなさんには すこし むつかしいないようですが、

にほんにきかした、こいずみやくも  ギリシャうまれの イギリスじんが、

このひと(おばあさん)が、すんでいる ちかくに いたことに、

おどろきと そんけいの きもちを おさえることが できなかった、

かんどうが よくつたわって きます。

そして、このはなしは、かきだしの ぶんしょうに つづいて、

このおばあさんの せいかくや、せいかつの ようすが 

ことこまかく くわしく かかれています。

ながい ぶんしょうなので、おおくのぶぶんを、かじょうがきに してみます。

 

 やせた こがらな じょせい。

68さい、かみは からす のぬればいろ。はは、いたって じょうぶ。

こどものように あかるくすんだ、するどいめ。

じを よむにも はりを もつにも、メガネが いらない。

あしこしも、たっしゃ。1りや2りなら、へいきで あるく。

じんじゃや おてらの さいれいにでかけて、

まごたちの おみやげを かってくる。

にくや ちんみのたぐいは いっさい くちにしない。

こめ、くだもの、やさい、いがいのものは めったにたべない。

さかなも くちにしない。いきものを ころしてたべるのは、

せっしょうかいを おかすと かたく しんじている。

びょうきも めったにかからない。

あつさ さむさや、へやのなかの すきまかぜを きにもとめない。

1にちじゅう、たえず ひとの せわをする。

ふゆでも なつでも、あさ1ばんに ひのでと ともに めをさます。

そして、ほうこうにんを おこし、こどもたちに きものをきせ、

ちょうしょくの したくを さしずし、ごせんぞさまへの おそなえものを

あんばいする。てのかかる こどもが5にん、いえのなかでは、

よる、ふとんに はいるまで かたときも、てを やすめない。

ひまさえあれば はりしごと。まご、むすこ、よめ、しようにんの 

ものまで じぶんでぬう。とくに したての むつかしいものいがいの

さいほうのしごとは、けしてよそに ださない。

かていで つかう たいていの しなは、じぶんで つくるか、

じょちゅうに さしずして、ぬわせたもの。

こしを おろして、はなしこんだり しない。

そのようなことをして しごとを なまけては、おてんとうさまに、

もうしわけないと おもっている。とても、くちかずが すくない。

まごあいてだ とこどもことばで おしゃべりをして、

おとぎばなしも たくさんする。ふだんは、くちよりも かおや ほほえみで

はなしをする。ほがらかで おかしなえがおは だれからも すかれている。

ぶけの さほうとして、さむらいの いえでは ふじょしが、

むようの おしゃべりを ことさらに いむことを こころえている。

おとなが あいてだと、ひつようなこといがいは いっさいくちにせず、

ときおり、みなを よろこばせるようなことを、2こと3こと いうが、

もとめられて、じょげんするだけ。

ひるまから がいしゅつするのは、こどものおもりで、

たいていは、ちかくの おてらか じんじゃに いくときか、

さいれいなどで おまいりに いくときに かぎられる。

ばんがたの がいしゅつを このみ、いえのしなや、まごのために、

めずらしい おもちゃなどを かいこんでくる。

じつに、おおくの ものごとを、そのめでみ、そのみみできき、

そのあたまで かんがえてきた。

むねに しまっていた、そうぞうできないほどの ふかいちえを、

おばあさんは もとめられれば、いつでも、あいする ものたちに、

わかち、あたえる。けつだんの つかないとき、くなんに みまわれたとき、

いっかのものは まるで、かみの おつげを もとめるかのように

じょげんを もとめるが、おばあさんは すぐには こたえない。

いつものように すわり、はりを うごかし、かんがえる。

そして、だいぶ たったころ、「これこれ こうするのが よかろう」という。

いえのものは、かならず いわれたとおりにする。

そのけっかも かならず おばあさんの いった とおりになる。

それでみんなは、おばあさんが、こうあてなさるのも、

しんぶつに ちかいおんみの うえだからなのだと かんがえる。

ちいさい ころから おばあさんを よくしる、ろうじんたちは、

おばあさんが、ひとを わるくいうのを きいたことがない。

「でも、おばあさんは、とても つらいめにあってきた。

たくさんの ぶしのいえが、かねかしに だまされて つぶれていった

じだいには、おばあさんも ずいぶんと、ひどい しうちをうけた。

そのうえ、おおくの あいするものたちと、しにわかれた。

しかし、そのくるしみも かなしみも、おばあさんは けして、ひとに もらさない。

いかりを あらわにしたことは 1ど ない。

よの、あくぎょうについて、おばあさんは、おしゃかさまと 

おなじように かんがえる。それは まよいであり、むちであり、

おろかなのだから、おこるよりも あわれんで やらなくてはいけないと。

おばさんの こころには にくしみの つけいる すきもない」

 

 どうです。すごい おばあさんでしょう。

まるで、「いきた、きょういくちょくご」といえるでしょう。

このさくひんが、かかれた じだいからして、きょういくちょくごの いぜんから、

うまれそだって、いきてきた おばあさんなのです。

そして、このような おばあさんが、それこそ、ぜんこくにいて、

それほど めずらしく なかったのですから、むかしの にほんの 「みんど」が

いまと ちがって、そうぞうできないほど、たかかったと いうことです。

「みんど」という ことばは、こくみんの せいかつや ぶんかの 

すいじゅんの ていどを いみしますが、とくに、このばあい、

みんどが たかいと いういみは、このような、けだかく、ほこりある、

うつくしい いきかたが、できるために ひつような、しつけと

きょういくの すいじゅんが おどろくほど たかいことを いみします。

こくみんに そなわって、ひんかくが すぐれて いることです。


 このおばあさんは、いまの、おおくの しゅうきょうかや、

きょういくしゃなどの ように、しかめっつらをして、こぶしをふりあげ、

かたに ちからをいれ、どうとくや、りんりなどを ことばたくみに、

たにんに ときながら、いきてきた ひとでは ありません。

ぜいたくな せいかつをして、じぶんでは なにもせずに、

ひょうろんかのように もっともらしいいことを くちかずおおく、

かたるひとでも ありません。ほんとうに、たのしいきもちで、

まいにちまいにち、よろこんで、じっせんし、だまって、いきてきた ひとなのです。せかいの どんなせいじんや、せいしょくしゃであっても 

できないことを しているのです。むりをして、じぶんを ぎせいに

していると いうきもちが、まったく なく、とにかく あかるく、

ほこりたかく、つよく、ただしく、そして なによりも、こころねが うつくしい。

だから すごいのです。

 

 こいずみやくもは、このはなしの さいごに、「このひとを つくりあげた、

しゃかいの じょうけんは、とうの むかしに きえさっている。

そして、つぎにくる、あたらしい よのなかでは、どのみち、

このような ひとは、いきて いけない だろうから。」とのべて、

おわっています。しかし、なげいたり するときでは ありません。

あきらめては いけません。こんなひとが、ひとりでも おおくいるしゃかいが

よりよい しゃかいの はずです。ですから、みんなの ちえと くふうで

すこしずつ、むかしの みんどにまで、ひきあげることを しましょう。

そして、このおばあさんを すこしでも みならって、うつくしいこころで、

せいかつするためには、やっぱり、おとうさん、おかあさん、

おじいさん、おばあさん、ごせんぞさまを たいせつにして、

かんしゃする きもちをもって、さいしの みちに はげむことから

はじまるのです。



へいせい22ねん8がつ15かしるす

みなみで きくぢ

 

 

 

 

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